別名「越後富士」とも讃えられ、日本百名山のひとつに数えられる妙高山。昭和十二年、赤倉観光ホテルはその中腹、標高約1,000mの地に、本格的な高原リゾートホテルの草分け的な存在として誕生しました。
四季折々の妙高のすばらしい自然を愛する人々が集う館として歴史と伝統を重ね、一般のゲストはもちろんのこと、これまで多くの国内外の貴賓や要人をお迎えしてまいりました。
由緒ある佇まいを大切にしたロビーには、赤絨毯にクラシカルな調度品、心地よい高い天井、そして冬には赤々と燃える暖炉。窓の外に目を転じれば、信越の山々の壮大なパノラマビューが広がります。また、その素晴らしい景色は客室・レストランからも一望できます。お食事は地元の旬の素材を生かしたシェフ自慢の本格フレンチ。至福のひとときをお過ごしください。
温泉は妙高山北地獄谷からの源泉かけ流しの湯で、豊富な湯量が旅の疲れを癒してくれます。古き良き伝統が培ってきた独特の気品ある空間ときめ細かな丁寧なサービスに心をつくし、ここでしか得ることのできない上質な時間へとエスコートします。
いくつものこだわりがある赤倉観光ホテルですが、一番はその歴史です。1937年、当時の日本政府の外貨獲得政策として国際リゾートホテル建設が推進され、その一つとして建設されたのが赤倉観光ホテルでした。
創業者の大倉喜七郎は、帝国ホテル、上高地帝国ホテル、川奈ホテルを作り、現在の帝国ホテル・オークラホテルの礎を築き上げた人物です。
国際リゾートホテルとして、海外の賓客にも恥じないようにと細部までこだわったホテルづくりが試されました。
しかし、創業当時の建物は1965年消失し、1年後に当時の建物を模した形で新しく建て直されました。そして、ホテルのこだわりも受け継がれました。眺望や温泉、料理といったこだわりはみな、この歴史に物語れるのです。
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1. 旧ホテル ロビー風景(昭和12、3年頃)
2. 旧赤倉ゴルフコース1番ホール
3. 旧ホテル前に並ぶルノー会の皆様の車(昭和30年代前半)
4. 旧ホテルダイニング朝食風景(昭和12、3年頃)
5. 旧ホテル前でスキーを楽しむ外国人ファミリー(昭和12、3年頃)
6. 新雪を踏みしめホテル前ゲレンデへ(昭和12、3年頃)
7. 昭和天皇・香淳皇后、行幸啓のご様子
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